2018.01.15

《創業ストーリー:前編》急成長ITベンチャーの始まりは、高校中退、15歳で社会人、世界一周?

人事責任者の西島です。スタートアップベンチャーと言えば、やはり社長のバックグラウンドは気になりますよね。

今回は弊社ベルフェイス株式会社代表の中島に、これまでの経歴とベルフェイス創業ストーリーをインタビューしました。完全なる自社作自演な感じになってしまいますが…話を聞きながら世界一周しながら作ったビジネスプラン、うまくいかなかった初めての起業。そんな中、点と点が繋がっていくように生まれたのがこの「ベルフェイス」だったと実感をしました。意外と社内にいても気づかないところがあるんだなーと改めて実感。。。

ー まず、若くして起業していた背景などを教えてください!

私は高校1年生の1学期で中退しているので、学歴でいうと中卒です。福岡の進学校に通っていたんですが、その時すでに「将来は起業しよう」と決意をしていたので、そうなるとやっぱり社会に出て働いた方が経験になるだろうと。高校を中退して、地元の土木会社に正社員で入社して2年間くらい働きました。そこが社会人のスタートです。

ー 高校中退を決めた時の周りの人たちからの反応は?引き留められたりしませんでしたか?

そうですね…進学校を1学期で辞める生徒なんてなかなかいないので、担任の先生には当然引き留められました。母親にも「焦らなくても、何かやりたいなら高校卒業してからでいいんじゃない?」と至極当然なことを言われました。ただ、父親だけは「人に迷惑をかけないなら、お前の人生だから好きにしたらいい」と言ってくれました。

ー いわゆる”普通の家庭”で育った中島社長が、起業したいと思ったきっかけは何かあったんでしょうか?

1つは、本をよく読んでいました。ビジネス書や哲学書をたくさん読んでいたので、将来どうしていくかという時期に、すでに起業に興味がありました。あくまで本の世界でしたけど、ふつふつとそういう気持ちがあって。

若い人特有の自意識であったり、特別の存在でありたいという感情が中学・高校になっても捨てきれず、みたいなのがあったのが1つ。

あと、姉が生まれながらに身体的なハンディがあって、それを克服するために家族ぐるみで朝から夜までひたすらトレーニングしているのを小さい頃から見ていてのもあって、「人は努力しないといけないんだ」とか、「五体満足で生まれただけでも有難いな」とか、そんなことを感じていたんです。

奥深いところに「常に上を、もっと上を」というのが根付いていったのかもしれないなぁと、今振り返ってみると感じますね。

ー そういった環境の中で起業することを目指して中退、まず土木系の会社に就職した理由はなんでしょうか?

働くなら正社員がよかった。でも当時15歳で、正社員で雇ってくれるのが土木会社しかなくて、そこが募集していたので入社しました。固定給と、ちょっとしたボーナスももらっていました。いい経験になりましたね。

ー 15歳から働き出し、社会を経験して苦労したことや、「辞めたい」と思った経験はありましたか?

仕事はきつかったですね。若いというだけでコキ使われました(笑) 土木の中でも「測量」という仕事だったですが、例えば「ダムを作ろう」と言ったらまず未開拓の密林に突っ込んでいくのは測量の人たちです。十何キロとある木杭や機器を背負って登山するような現場仕事の後に、オフィスに戻ってきて数値を計算していく。

山の中で測っていてもミリ単位で測るんで動いちゃいけないので、蚊が集まってくるんですが絶対に動くなと(笑)

でも、一番最初に働いたのがそういった仕事だったので、辞めるとかそういことより、働くってこんなものなんだと思っていました。

ー 10代からそういった環境で仕事をされて、他にも経験したことはありましたか?

15〜17歳は土木の仕事をして、それからは飛び込み営業をやっていました。当時はネット回線とかを完全歩合でひたすら外回りしたり、コールセンター、引っ越し、ステージ設営の仕事とかいろんなアルバイトをしながら、元々キックボクシングをやっていたので試合に出てみたり、ダイビングも好きだったので宮古島に行って潜ったり、今も一緒に会社をやっているメンバーともバイクで九州1周したりとか、10代はこんな感じで好きにやっていました。


 

19歳で世界一周しながら、ビジネスプランを1日1つ作る

ー すごく刺激的な10代を過ごされる中で、そこからどう起業につながっていくんでしょうか??

起業しようと思ったんですけど、母親は専業主婦、父親は個人自営のコンサルタントで、当時の福岡にいてベンチャーとかなかったんです。起業しようと思っても周りにそんな人いないと。しかし、何はともあれまずはビジネスプランが必要だと思い至りました。そしてその頃に読んでいたソフトバンクの孫社長の本の中に、アメリカ留学中に1日1つ特許のアイデア考え続けたと書いてあって、同じ福岡出身ということもあって、まずは自分もやってみようと思いました。

そこで、私はバックパッカーとして世界一周しながら、1日1つビジネスプランを作成するということにしました。東南アジア、中近東、ヨーロッパ、アメリカ…30カ国くらいを7〜8ヶ月くらいで回りながら、毎日毎日ビジネスプランを書き続けました。

単なるアイディアじゃなくて、ちゃんと提出できるくらいの事業計画書ですね。1つ作るだけでも3〜4時間くらいかかります。ずっと考え続けて、社会的背景だったり、これによって顧客が得られるメリットや競合、このビジネスを始めるために必要な資金やボトルネックとか、そこまで考えて1枚にしていました。

世界中をバックパッカーしながらそれをやり続けて、20歳のときに日本に戻ってきました。それから中学の同級生とかmixiで知り合った人に声をかけて、21歳で起業しました。

ー 孫さんのビジネスプランを作る話は有名で知っていましたが、実践している人は聞いたことがなくて驚きました。しかも世界一周しながら…

そうですね、とにかく真似してみることが大事かなと思っていました。

長くなったので、続きは後半戦です(笑)

稀有な人生を歩んできた中島社長の少し裏側が見えた気がします。この年齢で2社目の経営者というのも納得ですし、ここには書ききれなかった修羅場を沢山超えてきた人材です。。。

後半戦はいよいよ、ベルフェイス創業と今後の展望をアップします。こうご期待!

《創業ストーリー:後編》起業一社目の「訪問しない営業」が成功を導いた、ベルフェイスの誕生秘話とは。

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